つくるをつくる私たちは

鼓動がはやい。呼吸が乱れている。自覚してる。音を吸収する素材がはられた壁。なのに、心臓の音がうるさい。なんで?これ、聞こえてるんじゃない?迷惑じゃない?そんなわけないのに、焦る。そうだ。汗を握っていた手でスマホを確認する。ちゃんとマナーモードになっている。さっきしたもん。すべって落としそうになる。やばい。

 

大丈夫。大丈夫。落ち着け。落ち着け。

 

意識して呼吸を深くする。足に力を込めて、膝を見つめる。ゆっくりと息を吐く。

 

「じゃあ、よろしくお願いしまーす!はい!3…2…、、」ディレクターの指とともに赤いランプが付く。

 

顔を上げた先、四角い窓ガラスの奥。そこには「なりたかった私」がいて、でも、座っているのは私じゃない。

 

 

小さい頃、アニメに出てくるヒロインが大好きだった。日曜日の朝にやっている、キラキラふわふわの女の子。少し大きくなってから、声優という人がいるのを知って、猛烈に憧れた。なりたかった。

 

憧れのまま突っ走り、高校在学中にオーディションを受けた。受かった。たぶん、才能みたいなものがあったんだと思う。その時はそう思っていたし、卒業してすぐに養成所に入った。特待生みたいな扱いが気恥ずかしく、でも心地よかった。がんばって、がんばって、がんばって、声優以外にも求められるものはなんでもやった。海にもプールにも遊びに行ったことないのに、水着は着慣れていった。

 

瑞波とは、その時に出会った。誰よりも声の鍛錬をしていて、もちろん私だって負けないくらいにがんばっていたけど、でも私たちにくるのはラジオだのイベントだのグラビアだの、声以外の仕事がほとんどだった。「なりたかった私」に近づけば近づくほどに、やりたくないことも近寄ってくる。毎日ニコニコお疲れ様でーす!な笑顔が貼り付いて、もうなんにも疑問に思わなくて、ある日たまたま帰り道に本屋に寄って雑誌をパラパラしていたら、小さい切り抜きの中で笑顔の自分がニッコリこちらを見ていた。

 

えっ。誰、これ?

 

そしたら涙が止まらなくなって、足に力が入らなくなって、ごはんがおいしくなくなった。消費されることに耐えきれなくなった。もう、無理だった。少しして、わがままをいってやめた。

 

最後に会ったとき、瑞波はなんて言ったっけ?事務所に挨拶に行って、その時すれ違ったはずなのに、思い出せない。

 

 

レギュラーでもらっていたナレーションの仕事。どこかの街の魅力を紹介する番組。小さいけど、ていねいにつくられているのが好きな現場だった。実は……、と事情を伝えて、決められた後輩に番組を引き継ぐ。いつものディレクター。ぬぼーっと背の高い坂口さんは、見た目大食いチャンピオンみたいなのに胃が弱いらしく、いつもペットボトルの温かいお茶を飲んでいた。そのときも、待ち合いのブースでお茶を飲みながら雑談していたら「実は独立して会社をつくるんだけど、こない?」と誘ってくれた。

 

「私、まじでなんにもできないですよ……?」「大丈夫大丈夫、猫の手も借りたいくらいだから」

 

たまたまの縁。ありがたく転がり込んだ先はPRや企画をする会社で、まじのまじに猫の手だった。大戦争くらいに猫が欲しい。それでも足りない。不規則とか急なスケジュールとか忙しさには慣れてるつもりだったけど、自分で自分を忙しさに投げ込んでいくような、やればやるほど時間が足りない毎日は大変で、でも忙しさがなんでも忘れさせてくれた。経験ゼロから必死で食らいついていくうちに、(とりあえず買った)スーツは、ワンピになり、ブラウスになり、Tシャツになり、爪は短く髪はアップ、コンタクトはメガネ、ヒールはスニーカーになった。当時の私は、ほとんど走っていたと思う。歩いた記憶がない。

 

立ち上げからしばらく、会社も実績をつくりたくて、依頼されるものはなんでもやっていた。坂口さんは人当たりもよくて「坂口さんとこなら〜」の依頼も多かった。最初の頃は、私に名前や声で気がついてくれる人もいてドキドキしていたけれど、そう、世の中の消費は速い。すぐに忘れられたし、私も忙しすぎて気にならなくなった。エンタメのお客さんと近いところにいた経験とか、とりあえずニコニコしてるとか、わかんないところはすみませんもう一回お願いします!と粘るとか、今までの私の強みはなんでも使う。終電が始発になり、睡眠が仮眠になり、シャワーは隣の雑居ビルの満喫になり、帰らない家の家賃の意味を考えるようになった。雑用もなにもかもやれることをやるおかげで、入口から納品までだいたいの仕事がわかるようになった。予算が取れなければ、手弁当で私がナレーションを入れた。

 

 

「正直助かってる。ありがたい。でも、ナレーションはこれで最後にしよう」

 

ある日、馴染みのスタジオでナレーションを録りおわったときだ。坂口さんがお茶を飲みながら、唐突に、でも目を見て言った。

 

「えっ、ダメでした?」「いや、そうじゃなくて。うーん、うまく言えないんだけど、それ北田さんの仕事じゃないから」

 

私の仕事じゃない。たしかにそうだけど、面と向かって言われると鼻の奥がツーンとしてくる。自分からやめたのに、なんてわがままなんだろう。でも、ここを認められると、これが仕事になるとうれしいということは、まだ全然引きずられているってことだ。表現は、呪いみたいなものなのかもしれない。

 

「予算がないなら、その分の仕事になる。今更だけど、それがあたり前なんだよね。今のやり方じゃいつか無理がくるし、北田さん、割り切れなくなると思う」

 

そうかもしれない。心のどこかで、私はしがみついている。いたんだと思う。声は筋肉だ。やめればやめるほど、戻すのにはその倍以上の時間がかかる。わかってる。その日を堺に、私はこっそり続けていたトレーニングを一切やめた。

 

 

数日後、坂口さんはみんなを集めて、いつもみたいにでっかい手でマグカップを手にしながら、会社を小さくすることを伝えた。お茶は、もう冷えていたのかもしれない。

 

「できるだけ、納得できる仕事をしたいと思う。なにかを創りたくて会社をつくったのだけど、今更だけど今の形じゃない。お金を作るのと、何かを創るのは、やっぱり違うよね」

 

みんなそれぞれ働き方が限界に近いのはわかってたから、異論は出なかった。でも、何人かはその場で退職について確認していた。

 

「いま、なにをつくってる?を大切にしたい。いろいろと足掻いてみるけど、それでダメなら、ごめん」

 

ダメなら、ごめん。坂口さんが言うと、ふしぎと無責任には聞こえなかった。むしろもっと強い、背筋が伸びるようなことばだった。

 

 

みんなで今受けてる仕事を片付けてから、会社は拠点を都内から少し郊外に移した。それからまじのまじで、平社員の私から見てもわかるくらい会社は傾いたし、ほんとにギリギリのギリで今月を乗り切る!みたいなことが続いた。実際に何人かは去っていった。でも、地域に根ざした活動とか、やっと、少しずつだけど納得できる仕事の数は増えていった。

 

「決まったよ!」

 

大手の広告代理店とかもこぞって狙っていた大型案件。確実に今までで一番大きな仕事で、受注は奇跡だった。その領域に関係する活動が評価されたのだと思う。すぐに、社員総出で(ちゃんと寝ていっぱい食べて無理なく)全力で取り組んだ。細かいところを詰めて企画が通るまで、たくさんぶつかった。特に拠点を移した後に中途で入ってきた宮田さんとは、直接やり取りする領域だったからかなりケンカしまくった。宮田さんは人のいいおじさんという風体なのに、大手から「家が近い」って理由で転職してきたおかしな人で、めちゃくちゃ仕事ができるし、いつもニコニコしてて、でも芯ではすごく頑固だった。だから、ぶつかりがいがすごかった。

 

「プロモ動画のナレーション、誰がいいっすかね?」「うーん……。あ!みずみーは?どう?水嶋みずは」「あー、いいっすね。あの透き通った声の感じとかぴったり感ある」「アイドル売りしてるときはよくいるタイプって感じでパッとしなかったけど、ここ数年すっごい好きなんだよねぇ〜」「ミヤさん、めっちゃファンですよね」「うん。最初に娘がハマって、それから妻も俺も大ファンよ」

 

瑞波。

 

久しぶりに聞いた名前に反応しないようにしたけど、一瞬。その一瞬はやっぱりバレていて、坂口さんがこっそりこっちを見ていた。私はゆっくり息を吐いて、首を小さく振る。

 

大丈夫です。それは私の仕事じゃない。

 

キャスティングは宮田さんの領域だ。そして、宮田さんの感度は正しい。客観的に見て、今、この企画にぴったりなのは瑞波だと思う。間違いない。

 

「案件規模もイケると思うし、企画の文脈にも合いそうだよね。あとはスケジュールかなぁ」「ダメ元でも、いっちゃいますか」

 

スケジュールかぁ。たしかにそれはちょっとあるかも。規模が大きい分、こちらも融通しにくいし。そんな心配をよそに、打診してすぐに二つ返事で快諾。瑞波に決まった。坂口さんはあれ以来、何も言わなかった。

 

 

「よろしくお願いします」

 

久しぶりに会った(といっても顔合わせで私は端っこにいただけだ)瑞波は相変わらず凛としていて、でもすっと立つ姿はなんか大人だった。チラッとこちらを見た気がするけど、たぶん気のせい。覚えてないか、どちらかというと思い出したくないはずだし。

 

ひと通り挨拶が終わり、彼女はブースに入る。もろもろチェックが進む。チェックチェック、テストテスト。彼女はあちら側で、私はこっち。クライアント側として、完成したナレーションのチェックと、そのまんまの意味で顔見せをする。しかもチェックは宮田さんが中心だし、顔見せに坂口さんは社長として来ていて、私はまるっとおまけ。隅に座って、ただただ見守ることが役割だった。だけど。

 

ドク……ドク……ドク……。

 

心臓が速い。飛び出してくるんじゃないかってくらい、鼓動がうるさい。憧れなのか、嫉妬なのか、かなしいのか。よくわかんない。来ないほうがよかったのかもしれない。向こう側の、「なりたかった私」の姿は、思い出のやわらかいところをズブズブと刺しまくる。

 

でも、大丈夫。それは、今、私の仕事じゃない。

 

私の仕事は、ここに来る前にほぼ終わっているんだ。あとは見守るだけ。

 

赤いランプが付く。映像とキューに合わせて、原稿が読まれていく。

 

 

圧巻だった。

 

「みずみーって、こんなだったっけ?すごいな」

 

思わず、宮田さんが立ち上がる。ガラス越しにも集中が見える。没入。声の密度、抑揚、音。息を吸うタイミングまで、こちらが伝えたいものが、いや原稿で書かれている世界を越えて、想像以上の言葉が流れていく。すごかった。

 

「……OKです」

 

私を含めた全員が息を忘れていて、思い出したように呼吸を再開する。息を呑むって、ほんとなんだな。その後、宮田さんしか気がつかない、ほんの少しのニュアンスのバリエーションと、言い回しの直しを念の為録って終わった。でも、おそらく最初のテイクがほぼ使われるだろう。

 

「お疲れ様でしたー」

 

その後、打ち上げというほどじゃないけど、軽食が出てそのまま軽い懇親会になった。坂口さんはクライアントだの旧友のスタジオマンだの挨拶回りになだれ込んでいった。瑞波は次の現場があるらしく、マネージャーさんとていねいにお詫びしてからすぐ帰ってしまい、話す機会がなかった。私も一通り挨拶をしたらやることがなくなってしまい、外の空気を吸いに自販機まで歩く。

 

[ゆり、かっこよくなったね]

 

スマホが震えた。瑞波だった。数年前、最後に[ごめんね]と送ったっきりの、既読されたメッセージの下に新しいメッセージですと表示される。数年を飛び越えて届いたみたいでふしぎだ。あのときと、さっきの姿が両方浮かんできて、なんて返そうか迷っていると、見透かしたようにまたメッセージがきた。

 

[これ、つくったのゆりだよね?][企画書見せてもらって名前見かけて、絶対そうだと思った!][だから、負けないようにしなきゃって思ったんだけど……。どうかな?よかった?]

 

[うん。よかった。すごかったよ。][おかげで今までで一番の仕事になると思う。][ありがとう。]

 

[うん。こちらこそ。][またね。]

 

[うん。また。]

 

スマホを握りしめて、気持ちが抑えきれずにブンブンと頷いて、しゃがみこんで少しだけ泣いた。

 

 

「はい、どうぞ」

 

避難してきた坂口さんに温かいほうじ茶を手渡すと「ありがとう。もう大変」とひらひら手を振りながら、応接用のソファに倒れるように座り込む。人気者は大変だ。横に座って、私もコーヒーに口をつけた。まだ十分温かい。

 

「坂口さん」「ん?」「私って、いま、なにか創れてますか?」「うん。……だって、それが僕たちの仕事だもん」「ですよね」

 

坂口さんはやさしく言って、ペットボトルのキャップをひねる。私ももう一口コーヒーを飲んで、先の言葉を飲み込む。また泣いちゃいそうだったから。「なりたかった私」にはなれなかった。でも、今、この人と。たしかになにかを創っている。一番の仕事だって、最高の出来だって、数年したら忘れられるのかもしれない。消費されて、誰の記憶にも残らないのかもしれない。それでも。

 

「さて。次、なにやりましょうか」「そうだなぁ」

 

つくるをつくる私たちは、なにかを創りたくて、作り続けるんだ。きっと。

 

いま、なにをつくってる?と繰り返しながら。